ドバイが石油依存せずに大きくなったワケ

ドバイに限らず、石油産出国は原油の値段によって大きく経済が左右される部分があり、
それまでバブル経済のような経済状況だった中南米の産出国は、
値段が下落したことで一気に景気が悪くなり、国を揺るがす大問題となっています。
もちろん、こうした動きはどこでも同じですが、
そのような状況でもドバイでは今も景気を拡大させ、商業都市として発展を続けています。
この背景にあるのは、石油だけには依存しないやり方であり、
周辺国との決定的な差というものがあります。

中東でも石油は多くとれますが、
中東戦争に伴うオイルショックにより、日本を含め多くの国が影響を受けました。
また、石油があれだけとれるにもかかわらず、そのお金を社会インフラに使う、
もしくは商業都市としての発展に使おうとはせず、いわゆるバラマキ政策などにより、
どんどん使ってしまい、結果として依存しきった体質となり、
そこが揺らいだ時に様々な影響を受けることになってしまいます。
強みはあくまで石油がとれることだけというのを知っているかどうかというのが大事であり、
それを自覚したのがドバイだったということです。

ドバイでは1966年から石油の産出が始まりましたが、
この時から依存をしないやり方というものをはじめています。
地元の商人の協力を受け、社会インフラの強化を進め、
経済活動に必要な環境というものを整え、経済特区を設け、外資を誘致しようとしました。
その結果、多くの会社がその誘いに乗り、ドバイへ進出するようになり、
結果として商業都市としての歩みを加速させていくことに成功します。
実際、生産量は他の国などに比べれば少なく、依存しようにも量が心もとないものの、
経済部門の幅広さが商業都市としての価値を高めています。

今ではいかに自国の空港をハブ空港にするかというのを考えてほとんどの国が動き、
日本でもできるだけ24時間の離発着ができるようにしています。
しかし、ドバイ政府はハブ空港にしていくため、
自前の航空会社を作り、世界各地に飛行機を飛ばし、空の流れを集中させようとしました。
その結果、80カ国以上に路線を持つことになり、
長距離の移動の際にはその地を経由して別の国へ行くというルートが一般的となっています。
日本では21世紀に入ってから就航したため、まだまだ馴染みは薄いですが、
今後身近な国として実感していくのは間違いありません。

2020年には万国博覧会の開催が決定するなど、
原油の価格が下落しても商業都市としての発展は今も続けています。
今後、中東全体で発展していく可能性を秘め、
カタールで行われるサッカーのワールドカップなどもあり、
今後も大きく発展していく可能性は十分にあります。
それもこれも、先を見据えて、国際社会でどのように生き残り、
そして、価値をどのように作り出していくかということを長いスパンで考えた結果であり、
日本人として評価すべき部分、参考にすべき部分はたくさんあります。

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